金屑川(かなくずがわ)
ここからは、金屑川沿いに北に歩いていきます。金屑川という名前、とても珍しいですね。どんな由来があるのでしょうか。Wikiによると「葛の生い茂る川の意」とありますが本当かな…今度僕も調べてみようと思います。まず最初は先ほどの賀茂中央公園周辺で撮影した金屑川の様子です。
賀茂の南側からみた金屑川の様子です。
水町公園
なまず広場
看板の文字を書き起こしてみます。
賀茂神社のなまず伝説
賀茂神社の祭神は玉依姫(たまよりひめ)、別雷命(わけいかずちのみこと)、天児屋根命(あまこやねのみこと)の三神である。免(旧名)の賀茂神社の建立年次は境内から、出土した瓦から約1200年以前に建立されていたことがうかがえる。荘園時代の承和11年(西暦844年)頃から現在の社がある一帯の旧地名である免の年貢は京都の賀茂御祖神社に納められた。その後貞観2年(西暦860年)頃、賀茂御祖神社から年貢の見返りに使者を通じて有難くも御分霊を授かった。地区の者は大変喜んで、旧大字免字深町に社を建てて座石を祭り、免村の氏神様として崇めてきた。寛文10年(西暦1670年)に社の付近が耕地整理されたため、止む無く現在地(賀茂一丁目29-14)に新たに社をたてて移転し、免村の産土神としてお祭りし、現在に至っている。
享保17年~18年(西暦1732年~1733年)西日本一帯を大飢饉が襲った。当時福岡、博多と近郊の郡部を含めて約11万人が餓死したそうである。人々は「神々の祟りだ、天の罰だ」と恐恐としていた。人々は「二度とこんな大飢饉が起きない内に、村々に祭っている氏神さまの親神さまに、災難防止の祈願に行こう」と相談があちこちで始まった。免の賀茂神社の氏子も親神社である京都の賀茂御祖神社に祈願に行った。神主さんは「神社の使いはなまずです。お宮の近くに川があるでしょう。なまずさんなまずさんと呼び出しお尋ねするが良い」との事でした。それから2~3日した夜。代表の一人の夢枕になまずが現れ「願いの儀、之に応じる。己を信じ、行いに精を出し、努めよ。なまずは、わが使いなり、殺生、捕食まかりならぬ。川をきれいにして安住を願え。」とお告げがあった。賀茂神社の使いはなまずである。なまずの神様として崇められてきた。
上空から見たなまず広場
上空からみると広場から伸びた橋をなまずのヒゲとみたてたなまずの形となっています。
この看板でこの地域の事が良く分かりました。まず地名について、「賀茂」という名前は賀茂神社から来ていました。昔は深町にあったとのことで、賀茂4丁目に深町公園がありますのでその付近でしょうか。そして昔は「免」と呼ばれる地名だったということです。免とはゆるす、まぬかれるという意味ですので、看板にある荘園時代に年貢を京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)に納めていて、地域に納めなくてよかったから年貢をまぬかれるという意味で「免」という地名になったのでしょうか…由来が気になります。そして賀茂中央公園や賀茂駅で見たナマズ推しの理由も分かりました。江戸時代に起きた享保の大飢饉で多くの人々が亡くなられた後、賀茂神社の氏子さん達が親神社である京都の下鴨神社に祈願に行ったそうです。グーグルマップでは賀茂神社から下鴨神社までは629km、徒歩で131時間と途方もない距離です。1日30km歩いたとて片道21日、往復で2ヶ月近くの長旅です。氏子有志のみなさんは決死の覚悟で、地域の安寧を願って京都に向かったんでしょうね。お金もたくさんかかるでしょうから飢饉後の大変な中でも地域でお金を出し合ったんだと思います。もうこれらを想像するだけでちょっと涙が出そうになります。そしてある氏子さんの夢に賀茂神社の使いであるなまずが現れて地域を守るのでなまずを大事にして、川をきれいにするようにとお告げがあったそうです。ここから賀茂神社の使いである「なまず」を大切にするようになったんですね。こういった事を踏まえると公園にナマズがあったり、駅のマークがナマズなのは良く分かりますね。もうここからはなまず様と呼びたい!
Google map 賀茂神社から下鴨神社まで徒歩
下鴨神社さんのサイト https://www.shimogamo-jinja.or.jp/ 世界遺産ですよ!
次に京都に行ったらお参りに行きたいです!
歴史ロマンを感じながら歩みを進めます。
最後に賀茂神社の北からの写真を掲載します。
賀茂神社
地名の由来となっている賀茂神社にやってきました。小さな神社ですが、周辺を含めて氏神さまとして地域にとても大切にされているという雰囲気を感じました。
進藤一馬さんは1972年から1986年まで14年に渡って福岡市長を務められた方です。
書き起こしてみます。
往時 免の地は 早良六郷の能解郷に属していたが、明治二十二年町村制施行により 早良郡田隈村大字免と改められた。人情こまやか 勤勉・誠実 郷土を愛した祖先は、営々と稲麦作中心の農耕生産にいそしんで来た。また明治年間より昭和初期にかけて、養蚕業が盛んに行われ、蚕室や母屋を飼育場とした農村風景が多く見られたものである。尚遠く弥生・古墳時代の農業・水利施設を立証する鶴町遺跡も発掘された。昭和二十九年福岡市に合併 当時戸数八四戸 四十九年福岡市立賀茂小学校が開校され、五十七年十一月町界町名改正により賀茂となる。昭和六十二年三月十五日 建設委員会
能解はのけ(野芥)周辺の昔の表記で、田隈村は西の田村と東の干隈村からとっていると郷土史で読んだ記憶があります。浅い歴史の知識で行きますと早良六郷能解群免→福岡藩時代は早良郡下触免→明治に早良郡田隈村大字免→福岡市という流れでしょうか…早良郡志には”加茂”神社、免字鶴町と記載がありました。免の東南には古屋敷という場所があるといったことや五輪の塔、西口地蔵のことが書かれていたように思います。(うろ覚えでごめんなさい。今度図書館で見てきます。)免には鶴町、水町、深町といった地名があったようですね。いずれも川にまつわる地名なような気がします。また養蚕も行われていたというのは驚きです。なまず広場では平安時代の事が書いてありましたし、川も近いですから古代から人々が住んでいたでしょうね。
書き起こしてみます。
賀茂神社 祭神 別雷名(わけいかづちのみこと) 玉依姫名(たまよりひめのみこと) 天児屋根名(あめのこやねのみこと)
由緒 当社は京都賀茂神社の分霊社として創設され、その建立年は詳ではないが境内より平安時代の瓦を出土したことによりその以前の建立であると認めることができる。尚昔から身体に白い斑点のでるナマズの平癒祈願の神様として遠近よりの参拝客が多い。
境内の祭神 十六天神様 天神様 水神様 庚申様 御大日様
祭祀と行事 一月一日 歳且祭 四月十六日 五穀豊饒祈願祭 十六天神祭 七月二十五日 夏祭(虫追祭)九月十五日 千灯明祭 十月十五日 御注連おろし祭り(おくんち) 十二月十六日 新穀感謝祭
天児屋根名の正式な読み方って何でしょうか…なまず広場の看板は”あまこやねのみこと”でした。
「白い斑点のナマズ」とは白斑という病気のことでしろなまずとも呼ばれているそうです。
皮膚科Q&Aサイト https://www.dermatol.or.jp/qa/qa20/index.html
9月15日の千灯明祭の様子が福岡市のサイトにありましたが、とてもきれいですね。
福岡市 賀茂神社の千灯明 https://www.city.fukuoka.lg.jp/sawaraku/sawaraku-tamatebako/kankou/kamo.html
賀茂神社周辺を散策
神社をあとにして周辺を散策してみました。
日本郵便サイト 簡易郵便局 https://www.post.japanpost.jp/owner/challenge/index.html
これにて福岡市早良区賀茂の散策終了でございます。
住環境について
福岡市で家探しをしている者として賀茂の住環境についてもまとめてみたいと思います。
天神・博多へのアクセス
福岡市早良区賀茂は1丁目から4丁目まであり、最寄り駅は賀茂駅ですが2丁目辺りでは野芥駅が近いです。いずれも徒歩約10分圏内かと思います。賀茂駅から天神駅までは21分~22分ですので、約30分で天神に出ることができます。七隈線が延伸すれば博多までも行きやすくなります。ナイスアクセス!
スーパーについて
近いスーパーはサニー星の原店(賀茂小から徒歩9分約700m)、サニー有田店(賀茂小から徒歩11分約850m)、イオン野芥店( 賀茂小から徒歩13分約1km) 、ハローデイ次郎丸店(賀茂小から徒歩13分約1km)、など若干距離はありますが、かなりの充実度です。大型商業施設も橋本の木の葉モールに車で5分程度で行くことができます。
教育について
賀茂1丁目から4丁目まで小学校は賀茂小学校で中学校は次郎丸中学校です。賀茂小学校は賀茂のほぼ中心にありますし、次郎丸中学校までは賀茂小から徒歩8分(約550m)と中学校も通いやすそうです。高校は第六学区です。(何故か次郎丸中校区の星の原団地だけは福岡中央高校も受験できるようです。)大学も福岡大学や中村学園大学、西南学院大学、九州産業大学、九州大学といった市内の大学にも通学できる範囲です。(九州大学伊都キャンパスはちょっと遠いかな…)
小中学校が近いのは子育てする上で魅力的です。
その他のお店について
賀茂周辺にはマクドナルドや丸亀製麺、ヤマダ電機、セブンイレブン、ローソンポプラ、ゲオなど他地域に比べても充実したお店のラインナップです。
住宅について
2021年10月時点では、セキュレア賀茂という19区画の大型宅地や、ジョイナス賀茂1丁目という3区画の分譲が行われておりました。
災害リスクについて
福岡市ハザードマップによると、賀茂4丁目の金屑川西側の一部が河川洪水による浸水深0~1mとなっています。これは割と意外でした。というのも地域の中心に金屑川という川が流れているので、かなり厳しいかなという先入観があったのですが調べてみると浸水区域は限定的であるということが分かりました。
福岡市Webマップ https://webmap.city.fukuoka.lg.jp/fukuoka/Portal
総合ハザードマップを選択しますと、各種の災害リスクを見ることができます。
また、福岡市の揺れやすさマップによると警固断層帯南東部で地震が発生した場合、震度5強(補強されていないフロック塀の多くが崩れる)から6弱(耐震性の低い木造住宅では、倒壊するものがある。)の揺れが想定されております。
まとめ
福岡市早良区賀茂は賀茂神社を中心に歴史の深い場所でした。なまず様の伝説も非常に興味深いお話で、さらにそれが地下鉄駅のシンボルマークになっていたり公園にあしらわれていたりと、地域でそういった歴史を大切にしているんだなと感じました。
住みやすさにおいても博多まで延伸する七隈線の賀茂駅が近く通勤に便利な上、小中学校も近くスーパーなどの生活環境も整っていながら、金屑川をはじめとした自然も残っており、災害リスクもそこまで高くないという非常に住みやすい環境だなと思いました。大きな宅地の分譲も行われておりマイホームを夢見る僕としては、賀茂に住んじゃうか~と思ってしまいました。
賀茂、とてもいい所です!
おわり